何者かになりたくない

自分は一切「何者か」になりたくない。「○○の人」「○○の専門家」そんな風に認識されたくない。コミュニティの中で「○○なら誰にも負けない」と勝手に競争意識を抱いて自尊心や存在意義を見出しているのが理解出来ない。
好きな事を少しずつやって少しずつ出来る自分が好きでたまらないからだ。

人々が好きなのは「他の事はまるで駄目だが○○なら右に出る者はない、○○に人生を賭けている専門家」と、それらが集まって作り上げるでかいプロジェクトというドラマだ。
一人で色々とそれなりに出来る事は本人の人生にとって多大なメリットだが、他人にとっては何も面白くないので望まれない。

「何者かになりたい」というのは「自分一人が特別になりたい」というより「特別な集団の一人になりたい」に近い。属する事が前提で、役割を求めている。ヒーロー集結映画で各々活躍シーンがあるような、あれが理想形だ。
自分は集結系は全く観る気がしないが、何者かになりたい人達はあれを見て「誰一人欠けても勝てなかった」と癒やされている様だ。