定められた喪失の物語

Ghostwire: Tokyoの感想で書いた、
>物語が終わる事で心に小さい傷を一生残すような理想的なラスト。近年だとFF15やツシマのような、SFC後期RPGを思わせる定められた喪失の物語
について。

素晴らしい物語から心に残る傷を受ける時、それを少しでも多く得る為に生きていると感じる。

バッドEDや悲劇がいいという事ではなく、些細なすれ違いや誤解だとか、あと少しの所で間に合わなかったとかいう洋ドラの引き延ばしのようなものでもなく、物語が始まる以前から決まっていた事だと潔く幕を引かれた後の痛み。

例えばGhostwire: Tokyoで妹は「だから死ねなかった」と語っているので妹の結末は必然だし、敵が目の前で妹を殺して主人公が怒りのパワーで敵を倒しKKは何かの奇跡で生き返る!とかいうラストだったらストーリー面では駄作と言わざるを得ない。それにしてもあの世界で得た物全てと暁人を切り離す潔さにはゾクゾクするが。

「推し」の名の下に登場人物の扱いに口を出す消費者は多いが、長年描いたキャラクターへの思い入れから作者ですらそれまで描いてきたものをねじ曲げる事がある。そして今キャラクターは何よりも金になる。既存絵の使い回しグッズをランダムで売り、立ち絵が会話するだけの茶番で永久に引き延ばせる。
それをせずあるべきように物語を終わらせる事は称賛に値する。

ノベルゲームのルート制限

推理ADV、端木斐异闻录のDLCシナリオをクリアした。
事件を解決してもED実績が出ないので、どこかで選択を誤っていて他にトゥルーEDがあるのだと思い最初からやり直したが、そうではなかった。初回は正解しても不完全なEDになる仕様で、試しに初回プレイの最終データをロードして全く同じ推理をしたら2回目はトゥルーEDになった。単なる時間の無駄だ。
トゥルーEDと言っても同じ結末に少し追加テキストがあるだけで、初回で正解したプレイヤーに読ませない理由が分からない。いわば初回で正解した罰と言える。

ノベル系は多くの作品に初回で真相EDに到達させないようルート制限がかけられている。
プレイヤーが正解を分かっていてもその選択肢が選べない為バッドED行きとなる。試行錯誤ではなくプレイ回数によるゲーム進行という、レベルデザインの放棄だ。
理不尽だが、それによってプレイヤーに理想的な物語を体験させられるならまだいい。

何の為にルート制限を設けるのか考えるべきだ。

ゲームの自由度

ゲームにおいて、プレイヤーの些細な行動や選択が最後まで影響する、NPCを殺したり非道な選択をしたら悪ルートに進むような事が「自由」と称される事がある。
自分にとってはそういった行動が結果に影響せず、興味のある選択肢を全て選んでみた後ペナルティなしで正規ルートに進める事が「自由」だ。いちいち結果が伴い取り返しがつかないと思うとストレスしかない。

自分にとってのゲームの自由

コマンド選択中に時間が進まずいくらでも考えられる、いつでもセーブしてやり直せる、選択肢を選び直して全ての反応を見られる、何度でも同じ話を聞ける、死んでも生き返る、一度行った場所に一瞬で移動出来る、見下ろし型で背後や壁の向こうが見える、そういった現実では不可能である事。

逆に、選択に時間制限がある、セーブ制限がある、一度しか選べない、話を聞き直せない、死んだらロストする、移動に時間と金がかかる、一人称視点で視界が狭い、等がわざわざ現実の不便を再現したストレス度の高い要素。全て現実で間に合っている。

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老害系SF

無料公開で話題になっていた藤子不二雄の「老年期の終わり」を読み、あまりの老害シナリオに辟易した。
そして「今の日本のようだ」と勝手に現代を老年期認定する、まさに作中のもう終わりじゃジジイそのものの感想が多い事にも。

老害系SFの特徴

  • 「便利すぎる生活」「進みすぎた文明」を雑に批判し、AIを敵視。男と女を番わせ出産や畑仕事を賛美、やたら地球に帰りたがる
  • どれほど技術が進んでいても女性は体の線を強調した服や動きにくいタイトスカートでカマ言葉を話し、社会はジジイが支配している
  • ジジイが少年に長々と愚痴や恋バナを語って理解してもらう

例: WALL-E、レディプレイヤー1、シンエヴァ

ジジイを信じるな

コールドスリープ漂流から目覚めた主人公は、その廃棄寸前の星に残っていたジジイの「もう人類は老年期じゃ」という嘆きを聞き、地球に戻って確かめる事もせず、絶望し、燃料も持たず再び自殺の如きコールドスリープ漂流に出る
未来への希望でも何でもない。この話から学ぶ事はジジイの愚痴をまともに聞くなという事だ。