在宅と自尊心

パンデミックによって人類が少しは文明を進めたようで、完全在宅勤務の職を紹介されたので一年ぶりに就職したら、「コミュニケーションの為に週の半分以上は出社」するよう言われた。
伝染病が蔓延する中、業務に必要は無いが俺達と顔を合わせて話す為に公共交通機関で通えと平然と言う。何も変わっていなかった。FAXとハンコを操る猿だった。

話が違う事を問うと、「状況が変わった」と言う。感染状況については何も解決していないが、国が出していた緊急事態宣言だとかまん防だとかが終わったからだと。
ウィルスが存在するかどうかではなく「国が言ったから」で判断する会社、「会社が言ったから」で判断する社員。

上司や人事でもなく一介の社員に「会社の意向として出社する事になっている」と説かれ、他人に命を危険に晒す事を強いている自覚も、自分が強いられている自覚もなく、会社、会社、と繰り返す様が不気味で仕方ない。

パンデミック下に業務上必須でもないのに出社させる会社に、自分の生命を軽視している事への反射的な怒りが湧かない事が理解出来ない。自尊心が無さすぎる。他の人間にしても「不満や不安はあるけど」程度に見える。

日本企業の、必要でもないのに定期的に社員を動かして遊ぶ転勤制度。直前に命じられ他県に引っ越しさせられた事を「いきなり来週から○○に行けって言われました!」と笑って武勇伝の様に語る。あれも心底理解出来ない。

理由なく有給を取るべきではないという風潮があった頃から毎月有休を使って連休や平日休みを作っていたので、会社が国から有休を取らせるよう言われたからと盆正月など従来の休日を出勤日扱いにして強制消化させる事に激しい怒りが湧くが、周囲の人間はまるで怒らない。

祝日など与えられた連休があれば心待ちにする癖に、自分で有休使って連休を作る人間には「なんで用事もないのに有休?」と無駄扱い。特にパンデミック前の「休日に外出しない人間は無駄に過ごしてる」というあの風潮。
仕事か用事しかない。まず自分の自由に出来る時間があるべきだという自尊心が無い。

自尊心は、自分が理不尽な扱いを受けた時に怒りを覚える力だ。この国ではそれを身に着けないようよく教育される。
例えば両性が対等である名目の婚姻制度で、実際は一方の性別が96%姓を独占しているが、もう一方の性別が幼い頃から触れる物語には「相手の名字になった自分」を夢想する描写があり、それが望ましい事のように刷り込まれる。

理不尽な扱いを受けて悲しむ人間と怒る人間、他者にとっては当然前者が都合良いのでそうある様に望まれる。「考え方次第、お互い様、感謝や愛情が足りない、口が悪い、感情的、反撃したら相手と同レベル」、被害者を黙らせる言葉ばかり豊富だ。

自分は何より大切な存在なので自分の為に怒れ、自分で自分の心身を守れ。「何かに怒ってる人は見たくない、楽しい事だけ話してる人が好き」と他者の言葉を感情で選別する人間に合わせる必要は無い。